以前有一位住在京都,大家稱之為「真好!源先生」,日常生活中,源先生不論遇到什麼事情都說:「感恩!真好!」
有一次,他跌了一跤,撞到額頭,腫起一個大包。一般人,遇到這種情形,會想「真衰!真倒楣!」。周圍的人心想,再怎麼樣,源先生也不可能說:「真好吧!」但是,源先生仍然說:「感恩!感恩!真好!我還有疼痛的感覺,表示我還活著,這是多麼讓人感到感恩啊!真好!」
2017年10月日本連續下了好久的雨,雨量是往年的3~5倍。
洗好的衣服沒辦法曬乾、農作物因下雨的影響,價格高漲,想必大家都覺得討厭。但是,在京都持續下了一個星期以上的雨,大家都感到煩躁的時候,源先生卻很高興地說:「真是感恩!真好!如果這些雨量一次就下下來的話,一定造成河川氾濫,京都的街道一定很慘,幸好是分成一個星期慢慢降下來,沒有比這更值得高興的事了。」
說出的話會如實地顯現
這個好辛苦、那個也煩、那個人好討厭、嫌東嫌西,發牢騷,誰都會。但是,也能將這些抱怨換個角度想,就能轉換成「好感恩!真好!」的心境。只要改變想法就能將負面的事情變成正向的事情。
父母神依據我們講出來的話及我們的心念,賜給我們祐護。
喜歡發牢騷,喜歡抱怨,喜歡說人家的壞話的人就會常發生讓她想發牢騷,想抱怨的事。相反的如果常說「好感恩!真好!好高興!真幸福!」就比較會發生讓你說這樣的話的事情。
批評社會不好、政府不好、那個人不好、父母親不好,總是批評他人,絕對不會帶給自己幸福。同時,指責別人,自己也會成為他人指責的對象。
因此要常說愉悅的事情、快樂的事情,即使發生不好的事也要向前看,努力尋找喜悅。
感謝與祈禱
如有不喜歡的人或難以與之相處的人,不可怨恨、憎惡對方,在此不說要你轉變成喜歡對方,但我們可以向父母神祈求讓對方幸福。
又比如生病了,通常會沮喪地說:「好痛苦!會什麼是我。」但是這時更要向父母神感謝說:「父母神!讓我生病,謝謝!」
首先反省自己,以感恩的心為他人的幸福祈求,如此,就會有奇蹟出現。
因為不論甚麼煩惱或難治的疾病,父母神一定會賜予祐護。
成國月報NO,60 2017年12月号
けっこう源さん
天理教の昔の先生で、京都に「けっこう源さん」と呼ばれる方がいらっしゃいました。
どんなことでも「ありがたいな、けっこうやなあ」という心で通られた方です。
ある時、つまずいて、おでこを打ち、大きなたんこぶができました。
普通なら「災難やった」「ついてない」と思うものです。
周囲の人たちは「さすがのけっこう源さんでも「けっこう」とは言わんやろうな」と思っていました。
しかし、けっこう源さんは「ありがたいなぁ、けっこうやなぁ。痛みを感じさせてもらった。これは生きさせてもらっている証拠や。こんなありがたいことはない、けっこうやな」と言われました。
また、今年(2017年)の10月は、日本では秋晴れどころか長雨が続き、例年より雨量が3~5倍あったそうです。
洗濯物は乾かないし、農作物は被害を受けて高くなるし、みなさん嫌になったのではないでしょうか?
でも、けっこう源さんは京都に1週間以上雨が降り続いた時、誰もがうんざりしている時も、
「ありがたいな、けっこうやなぁ。もしこの雨が一度に降ったら、川が氾濫して京都の町は大変なことになる。それが1週間に分けて降らして頂けた。こんな結構なことはないやないか」と喜ばれました。
出した言葉がそのまま返ってくる
あれがつらい、これがつらい。あいつは嫌いだ、こいつはダメだという愚痴、不足は誰でもできます。
ところが、どんなことでも考え方を変えれば「ありがたいなあ、けっこうやなあ」という崇高な心を持つこともできます。
意識するだけでマイナスをプラスに変えることができるんです。
親神様は、私たち人間が発する言葉、心通りご守護くださいます。
不平不満、愚痴、陰口、悪口を言う人には、またその言葉を言いたくなるようなことが起きてきます。
反対に、ありがたいなあ、けっこうだなあ、うれしいな、楽しいな、美味しいな、幸せだなあ、という言葉を出していると、またその言葉を出したくなるようなことが起きて来るんです。
世の中が悪い、政府が悪い、あいつが悪い、親が悪いと組織を問題視して、他人を批判しても、自分の幸せにつながることは決してありません。
逆に人を責めれば、自分が人から責められることになります。
そんなことよりも、うれしい話、楽しい話をし、自分にとってマイナスのことが起きてもそれを前向きに喜ぶ努力をすることです。
感謝と祈り
例えば、嫌いな人、苦手な人がいるとします。その人のことを憎むのでもなく、恨むのでもありません。
嫌いな人を好きになれとは言いませんが、その人が幸せになるように神様に祈るのです。
また例えば、病気になったとします。
普通なら「つらいなあ、なんで私が」と泣き言を言ったりします。
でも、ここで「神様、病気にしていただいて、ありがとうございます」と感謝しましょう。
まず自分を反省し、感謝の心をもって、人の幸せを祈ることで、奇跡をも見せてくださるのです。
どんな悩みや病気も必ずおたすけくださるのです。