2020年6月2日 星期二

成國月報NO,61 2018年1月1日号 

中文翻訳 謝秋僅

相撲協會的暴力事件
  從去年底開始日本的娛樂新聞節目,接二連三地報導相撲選手的暴力事件。
到底是誰的錯呢?或許見仁見智,各有不同的意見。從電視上看到,爭執的雙方各持已見,認為自己是對的,而互相指責對方,一副「想把對方殺了」「那個人最好不要再出現」的樣子。
但是,想一想,日常生活中這樣的爭鬥是不是也常在我們的身邊發生呢?

以一個字詮釋「夫妻」
各位是否知道有所謂的老公death note,就是提供給希望丈夫死掉或對丈夫不滿的妻子投書的網站,內容寫得相當犀利。但是不禁想問,為什麼會跟這麼令你討厭的老公結婚,這個對象是你自己選的呀!
或許當初交往的時候或結婚的時候,誰都沒有料到會變成這樣。

世間一般常說,男女結婚只有最初的三年感情最好,之後感情就漸漸變淡了。
曾經有某電視節目以「用一個字形容夫妻」為題向結過婚的人做問卷調查,依不同年齡層,統計結果是第一名是:
20幾歲的人→「愛」
30幾歲的人→「耐」
40幾歲~70歲→「忍」
這個調查的結果一點都沒錯,結婚最初是因為有愛,但是理想與現實生活不同,日本每三對夫妻就有一對夫妻離婚,若再加上雖未離婚但感情不好的,就有一半以上的夫妻是感情不好的。這是實際的情形。

前面提到的相撲選手的暴力事件反映了現今社會現象,實在無法當做是與我們無關的單一事件。
不論是夫妻、家人、親戚、學校、公司等等處處充斥著憎惡與怨恨,這是身為人最不應該有的行為,也就是自私自利的心態的表現。
遇到不順遂、不順心的事我們很容易就將責任推給對方,其實自己的人生中不論成功或失敗,都是自己的責任。
都是因為某人怎樣怎樣,事情才會變成這樣,都是老公不好,我才這麼不幸福,都是老婆不好才……。其實一切都跟這些人無關,都是自己的心念所反映出來的。

不是誰的責任,全都是自己心念的反映,因此首先對於過去所發生的、現在的狀況以及未來可能發生的,完完全全地接受。對於所發生的一切感恩就是接受這個事實。

藉由信仰就能對於所發生的任何事都能說出感謝的話,向神祈禱的同時,人自己的努力也是必要的。

平常多留意,要時常面帶笑容,對人多說感謝的話,如此日日修行,二、三年後就能對任何事打從心底感恩,也能笑容滿滿。



相撲協会の騒動

 日本では昨年末からテレビのワイドショーで、連日大相撲の暴行問題のことをやっていました。
 さあ誰が悪いんでしょう?色々意見はあるかと思いますが、テレビを見ていると、争っている人たちはそれぞれ自分の言い分があり、自分は正しいんだと思っているように感じます。そして、お互い憎しみ合っていて、その表情や態度から
「あいつさえいなければ良いのに」
「殺してやりたい」
という感情さえ持っている気がします。
 しかし、こういう争いごとは私たちの周囲でも常に起こっているのではないでしょうか。
 
「夫婦」を漢字一字で表すと

ところで、みなさん旦那デスノートって知ってますか? 
 夫に死んでほしいと願う妻がその願望や不満を綴るネット上の投稿サイトです。
 かなり過激なことが書かれています。では、そもそもなんで嫌いなその主人と結婚したんですか?選んだのはあなたでしょう?と疑問に思うわけです。

 恐らく、付き合っている時や結婚した時は、こんなことになるとは誰も思っていなかったはずです。
 世間一般的に、結婚して最初の3年間だけが仲が良くて、結婚をピークとして後は愛情が冷めていくと言われます。
 
 あるテレビ番組で、結婚している人に「夫婦を漢字一文字で表すと」というアンケートを行いました。年代別での一位は、
 20代「愛」
 30代「耐」
 40~70代「忍」
という結果でした。

 アンケートは間違っていませんね。最初は愛があるんです。 ところが理想と現実の生活とは違う。日本では結婚したカップルの3組に1組が離婚するわけですから、離婚に踏み切れない人を入れると、半分以上は夫婦仲が良くないんだと思います。これが現実なんでしょう。 

世の中は鏡のよう

 冒頭に言った相撲協会の問題は世間を表す鏡のようで。決して私たちと関係のないことではない気がします。
 夫婦、家族、親戚、学校、会社、自治会や地域社会において憎しみや恨みが渦巻いているんです。
 これは人間にとって一番いけないこと、すなわち身勝手であるということの表れだと思います。
 
感謝と人だすけ

物事が上手くいかないと誰しも他人のせいにしてしまいます。ところが、自分の人生において上手くいくか、失敗するかはすべて自分の責任なんです。
 あの人のせいで、とんでもないことになったとか、主人のせいで不幸になったとか、嫁が悪いと。でもそんなの全然関係ないんです。心通りなんです。
 誰の責任でもない、全部自分の心通りなんだから、まずは過去起きたことを受け入れ、現在の状況を受け入れ、未来起こってくることを受け入れる。
 すべてにありがたいと思うことが受け入れるということです。
 
 信仰によってどんなことがあってもありがとうと言って通れるようになれるんです。
 それには神様に祈ることと同時に人間の努力も必要です。
 意識して常に笑顔でいること。常にありがとうございますと言うこと。この日々の修行をやっていくと、2,3年後には心からありがたいと思え、笑顔が溢れるでしょう。